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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)272号 判決 1970年7月29日

控訴人 ロイズ・エレクトロニツクス・インターナシヨナル

被控訴人 中村忠雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決のうち控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の陳述ならびに証拠の関係は、次に付加するほか、原判決の事実摘示と同じであるから、これを引用する。

(控訴代理人の陳述)

一、本件賃貸借契約の契約書(英文)中の原判決・被告の抗弁第二項に指摘した条項の合理的意思解釈としては、火災に関する危険はすべて賃貸人たる被控訴人において負担すること、したがつて被控訴人は賃借人たる控訴人に対し火災にもとづく一切の損害につきその賠償請求権を事前に放棄し、または免除することを意味するものと解すべきである。すなわち、右の条項が賃貸借契約のなかに挿入されていることは、賃貸人は税金の滞納により賃借人が賃貸借の目的たる建物を使用できなくなる結果を防ぎ、また火災保険についても賃貸人が火災による損害の危険を防ぐ手段を構ずること、換言すれば被控訴人は控訴人の火災発生の場合の責任は控訴人が被控訴人に支払う家賃からカバーし、その責任において被控訴人および控訴人を火災による危険から免がれさせるための十分な保険をかけることを約したのであつて、いずれにしても火災によつて生ずべき損害賠償責任を控訴人に負わせない趣旨のものであると解するのが当事者間の公平を図る点から考えても合理的である。さらに具体的にいえば、右条項により被控訴人は保険契約者を控訴人とし、保険金受取人を被控訴人とする火災保険契約を締結し、控訴人に代つて保険料を支払うべき義務が存したと考えるべきである。もし右条項が単に賃貸人たる被控訴人が自己所有の建物について火災の危険を免がれるために保険をかけ、保険料を負担して支払うことを定めたものであるとすれば、とくに賃貸借契約書にそのような記載をする意味も実益もないといわねばならない。

被控訴人が自己の名義でその所有建物に火災保険をかけているのに控訴人がさらに火災保険をかけるのは超過保険となり不可能であること、また控訴人が自己名義で賃借建物に対して火災保険をかけるためには所有者たる被控訴人の同意を要することからみても、賃貸借契約書中の右条項を、火災保険による危険のカバーは被控訴人において被控訴人控訴人両者の利益のために行なうべき趣旨のものと解するのは合理的な根拠のあることである。しかも、被控訴人としても保険契約者を控訴人とし保険金受取人を被控訴人とすれば、保険料率もとくに変らないまま自己が保険契約者となつて火災保険をかけるのと全く同じに火災の危険を保険によりカバーしうるのであるから、被控訴人に前記のごとき火災保険契約を締結する義務があつたと解しても、被控訴人に対し格別な不利益はもちろん過重な負担を課するものではない。

なお、被控訴人が前記条項の約旨にしたがつた火災保険契約を締結しなかつた結果、控訴人は被控訴人からの本請求のほかに、被控訴人が本件建物に火災保険契約を締結していた訴外アメリカン・インシユアランス・アンダーライターズ株式会社より、同会社が被控訴人に保険者として支払つた金八六七万一、八〇八円につき保険者代位権を行使され、昭和四二年三月一五日付をもつて右同額の支払請求を受けている。右訴外会社からの支払請求に対しては、控訴人は本訴訟の結果をまつて話し合う旨を約しているが、もし控訴人において本訴請求で敗訴することになると、控訴人はさらに金八六七万一、八〇八円を支払わねばならぬことになるが、そのこと自体本件賃貸借契約の約旨と矛盾するわけであり、右契約の約旨からすれば、控訴人が被控訴人から本訴請求を受けるいわれはない。

二、さらにまた前記条項を含む賃貸借契約を締結したことにより、賃貸人たる被控訴人は目的建物の全価額の補填をするに十分な火災保険契約を締結する義務を負つたものと解すべきである。しかるに、被控訴人は右の義務を履行せず、建物全額をカバーする保険をかけなかつたのであり、その結果、右建物が火災で滅失し、その損害額全部を補填できないことになつたとしても、それは被控訴人が本件賃貸借契約上の債務の本旨にしたがつた義務を履行しなかつたこと、すなわち建物全部の価額をカバーする保険をつけるという義務を履行しなかつたことによつて生じた損害であるから、控訴人がこれを賠償する義務はない。したがつて、本件建物自体の火災による滅失のため控訴人が蒙つた損害額九九〇万一、二二九円と被控訴人の受領した火災保険金八六七万一、八〇八円との差額一二二万九、四二一円については、控訴人は損害賠償義務を負うことがない。

(被控訴代理人の陳述)

一、控訴人主張の一について

本件契約書(英文)中の原判決・被告の抗弁第二項に指摘する条項についての控訴人主張のような解釈は、いわば法律家が苦心の結果考えついた解釈であつて、本件賃貸借契約の当事者間の意図しなかつた解釈だといわざるを得ない。すなわち、本件賃貸借契約の原案は、右契約の仲介者であつて不動産業者たる訴外イースタン・リアル・エステイト株式会社が長年にわたつて同社で使用している英文の賃貸借契約書をそのまま利用して作成したものであるが、同社および控訴人、被控訴人の意思としては、右条項で「税金および火災保険料は賃貸人(被控訴人)が負担する」ということを定めたにすぎず、それ以上の意味を含めようとは考えてもいなかつたのである。控訴人はこの点に関して、単に賃貸人たる被控訴人が自己所有の建物について火災の危険を免がれるために保険をかけるということを意味するのであれば、とくに賃貸借契約書にそのような記載をする意味も実益もないというが、法律家の眼から見れば無益な規定と考えられることであつても、法律家でない当事者間において、契約書の中に定めておくべき事項だと誤解し、契約書中に規定しておくことは日常よく行なわれるところである。そのような場合に、控訴人主張のように合理的解釈という名の下に、契約当事者が全く意図しなかつた意味に解することは、とうてい正しい解釈とは云えない。前記契約書第七条は、本件賃貸物が滅失した場合に賃借人の復旧義務を定めており、この条項から考えても控訴人の主張は無理な解釈である。契約の解釈は、当事間の意思に忠実になされるべきである。

なお、右条項の解釈として、保険契約者と保険金受取人を別人とする、いわゆる他人の為にする損害保険契約を締結する義務を保険金受取人たる被控訴人に負わせたと解釈することは、本契約の締結に際し、当事者間にそのような保険の存在が認識されていなかつたこと、またそのような火災保険を締結する話が全然出なかつたこと、保険金受取人たる被控訴人が保険契約者たる控訴人の代理人として保険契約を締結するために必要な手続について何らの話合いも約定もなされなかつたことからいつて全く無理な解釈であるといわねばならない。仮に被控訴人が控訴人の主張するように被控訴人を被保険者とし、控訴人を保険契約者とする火災保険契約を締結する義務を負うものとするならば、被控訴人は控訴人の代理人として行動することになるから、代理人として行動するに必要な書類が控訴人から与えられていなければならない。本契約締結にあたつて当事者間でこのような話が出たこともなく、それに必要な書類の授受も一切されていないのに、前記条項をもつて控訴人主張のような意味を有すると解することは正当な解釈ということができない。

二、控訴人主張の二について

前記条項が単に税金および火災保険料を賃貸人において支払うことを宣言している以上の内容を含んでいるものでないことは前に述べたとおりである。

仮に被控訴人が控訴人に対し本件建物につき適正な火災保険を締結する義務を負担していたとしても、被控訴人は締結できる最大限の適正な保険価格で火災保険契約を締結したのである。すなわち、保険金額が対象物件の価格以上の場合には、超過した部分について保険契約が無効になるものとされているため(商法第六三一条参照)、その物件にいか程の保険をかけるかは通常保険会社の査定によるものであるところ、本件建物についての保険金額はAIUの代理店であつた株式会社北沢の社員池原忠が日本損害保険協会発行「保険価額の手引き」(甲第六号証の二、三)を基準として、本件建物の建築見積書を詳細に検討し、基礎工事代、仮設工事代等を差引いて保険金額を九〇〇万円(建物六〇〇万円、給排水設備三〇〇万円)と査定し、AIUの本社において右池原の査定を適正なものと判断して最終的に決定されたものである。このように被控訴人としては、保険会社が適正として査定した保険金額について火災保険契約を締結したものであるから、被控訴人が控訴人に対し所論のとおり火災保険を締結する義務を負担していたとしても、その義務を十分に履行していたのであるから、控訴人の前記主張はいずれにしても失当である。

(証拠の関係)<省略>

理由

一、当裁判所は、被控訴人の本訴請求は原判決主文第一項の限度において正当であると判断するところ、その理由は次のとおり訂正するほか、原判決の理由と同じであるからこれを引用する。

1  原判決七枚目表五、六行目に、「成立に争のない乙第二号証」とあるのを、「成立に争いのない乙第二号証の二」と訂正する。

2  原判決一二枚目表四行目冒頭より同一二枚目裏八行目末尾までを、次のとおり訂正する。

「控訴人は、本件賃貸借契約においては、その契約書(英文)にみられるとおり、『Taxes and fire insurance to the leased premises,however,shall be borne by the lessor』なる条項があり、右は賃貸人たる被控訴人が火災に関する危険をすべて負担し、その責任において自己および賃借人たる控訴人を火災による危険を免がれしめるため十分な保険をかける義務あることを定めたものであり、したがつて、被控訴人が建物の総価額を補填するに足りる保険契約を締結しなかつたため、保険金をもつて全損害額を補填するに足りない結果を生じた場合でも、控訴人に対し火災発生に関する一切の損害賠償請求権を事前に放棄し、ないしはその債務を免除することを意味するから、控訴人は被控訴人に対し損害賠償義務を負わないと主張する。

本件賃貸借の契約書に控訴人主張のような条項があることは当事者間に争いがないので、右条項の趣旨について審案する。元来、建物所有者がその所有建物を第三者に賃貸する場合に、該建物につき火災保険を付するか、あるいは何ほどの金額の保険契約を締結するかはその自由に委ねられているところであるが、右賃貸借契約の締結にあたり、とくに契約当事者間において『火災保険料は賃貸人の負担とする』旨の約定がなされたときは、賃貸人が建物に火災保険契約を締結し、その保険料は賃貸人においてこれを負担し、賃借人にこれを請求しないのは当然のことであるから、単にそれだけにとどまらず(右条項は火災保険料を賃貸人が負担する義務のあることを定めただけであるとする当審証人藤島正孝の証言はこれを措信しない)、他に特段の事情のない限り、賃貸人は賃貸借関係の継続中における建物焼失によつて生ずる損害を免がれるため、建物の全価額を補填するに十分な火災保険契約を締結する義務を負担する趣旨のものであると解するのが相当である。これを本件についてみるに、前記条項には『賃貸人たる被控訴人は本件建物に対する火災保険料を負担する』旨が定められているから、被控訴人は自己の負担において賃貸建物につきその全価額を補填するに足る火災保険契約を締結すべき義務を有するにいたつたものとみるべきであるが、そのほかに被控訴人が火災に関する危険をすべて負担し、何らかの事由によつて保険金で建物焼失に伴なう全損害額を補填するに足りないときでも、控訴人に対し火災発生に基因する一切の損害の賠償請求権を事前に放棄し、または免除するなどという特約が存在したことを肯認しうる証拠はない。なお、右条項により被控訴人が当然に保険契約者を控訴人とし、保険金受取人を被控訴人とする火災保険契約を締結し、控訴人に代つて保険料を支払う義務を有するにいたつたと解すべき余地もない。してみれば、右特約ないし義務の存在を前提とする控訴人の前記主張は失当というほかはない。

控訴人被控訴人間において前記条項を含む賃貸借契約を締結したことにより、賃貸人たる被控訴人が賃貸建物の全価額を補填するに十分な火災保険を締結する義務を有するにいたつたことは、控訴人の主張するとおりである。しかしながら、火災保険のごとき損害保険契約を締結するに際しては、いわゆる超過保険が禁止されているところから、該契約締結に際し通常保険者たる保険会社より被保険物件の価格査定が行なわれるため、火災保険によつて必ずしも建物焼失に伴なう全損害が填補されない場合のあることを考えると、前記のごとき義務を負担する賃貸人の責任の範囲にも自ら一定の制約があり、賃貸人としては締結できる最大限度の保険金額による火災保険契約を締結すれば債務の本旨にしたがつた義務を履行したことになるため、その後の保険事故発生により現実に保険会社から支給された保険金でなお填補されない損害があるときは、賃借人に対しその賠償を請求しうるものと解すべきである。ところで、当審における被控訴本人尋問の結果およびそれにより真正に成立したものと認める甲第六号証の一ないし三によると、被控訴人は本件建物を控訴人に賃貸する前の昭和四〇年一一月中旬AIUの代理店である株式会社北沢との間に右建物を被保険物件とする火災保険契約を締結したのであるが、それに先立ち右代理店の従業員池原忠が所定の基準にもとづき調査検討した結果、本件建物の最大限度の保険金額を九〇〇万円(建物六〇〇万円、諸設備三〇〇万円)と査定し、右保険額による火災保険契約が締結されたこと、その後本件火災が発生し右建物が焼失したが、契約時よりすでに一年余を経過していたという理由によりその間の減価償却部分を控除されたりなどしたため、AIUから被控訴人に現実に交付された金額は保険金額より更に減額されたものであつたことが認められる。しかして、本件火災当時における本件建物の価額が少なくとも九九〇万一、二二九円であつたところ、被控訴人が現実に交付を受けた火災保険金が八六七万一、八〇八円であつたため、前者から後者を控除した差額が一二二万九、四二一円であることは前に認定したとおりである。してみれば、控訴人は被控訴人に対し本件建物に関する損害金のうち一二二万九、四二一円を支払うべき義務があり、被控訴人の再抗弁は理由があるといわねばならない。

なお、控訴人は、保険会社から保険者代位権の行使により同会社が被控訴人に支払つた金八六七万一、八〇八円の請求を受けており、そのほかに被控訴人が本訴請求をするのは、被控訴人が本件賃貸借契約上の債務の本旨にしたがつた履行をしなかつたことによるものであるというが、前記火災保険に関する契約条項の趣旨についてはすでに認定したとおりであり、被控訴人において前記保険金額による保険契約を締結したことにより本件賃貸借契約上の債務の本旨にしたがつた履行をしたものとみるべきこともまた前記説示のとおりである。被控訴人の本訴請求は右の保険によつて補填し得なかつた損害に関するものであるから、控訴人の右主張は理由がない。」

二、よつて、控訴人は被控訴人に対し本件損害賠償金合計二八〇万四、八二一円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四二年五月一九日から完済にいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、被控訴人の本訴請求を右の限度で認容した原判決は相当であり、控訴人の本件控訴は理由がないので、民事訴訟法第三八四条第一項、第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 多田貞治 上野正秋 岡垣学)

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